From Hiroshima: a powerful testimony of an evacuee of the Fukushima accident

Yoko Shimosawa, who evacuated from Tokyo to Kobe with two children, speaks from Hiroshima on August 6th at the occasion of the 73rd anniversary of the a-bomb.

Her powerful testimony is delivered in English and in Japanese.
The Japanese video and its transcription are placed below the English transcription.

8月6日、原爆投下73周年を迎えた広島から。東電福島第一原発事故後、東京から神戸へ避難した下澤陽子さんの渾身のスピーチです。英語スピーチと全文テキストの後に日本語スピーチの動画と全文テキストがあります。ぜひご覧ください。


73 years ago today, many precious lives were instantly destroyed by the terrible blast and the heat from the atomic bomb. Did you know, however, that the atomic bomb has had another, lasting effects? It’s an invisible, quiet and lasting effects from the nuclear bombing, called “internal radiation exposure.”

7 years ago, Fukushima Dai-ichi Nuclear Power Plant had an accident and the nuclear accident developed into a nuclear disaster. Today, we Japanese have to live with this invisible and quiet nuclear bombing.
It’s a kind of invisible violence that quietly invades human bodies.

I would like to talk about the violence called “the internal radiation exposure” as an evacuee from the terrible nuclear disaster.

I evacuated to Kansai three years after the Fukushima nuclear power plant accident. Where do you think I evacuated from? I evacuated from Tokyo. Do you know that Tokyo has serious radioactive contamination? Tens of millions of people in East Japan live with radioactive contamination now.

My daughter was 5 years old at the time of the accident. She was a cheerful and active girl. But after one year since the accident, her health conditions became bad and she was troubled by strange symptoms.
She told me, “Mommy, I feel so bad, I have no power, My hands hurt, my legs hurt, my body hurts!”
In fact, my daughter became so sick that she could not live a normal life at all.

At that time, I met a doctor who was working with the issue of radiation exposure in the metropolitan area. He said, if sick children are moved to the west away from contaminated eastern Japan, some of them might recover health.

According to his examinations after the accident, the number of white blood cells of children living in the metropolitan area was decreasing. And he added that neutrophils among white blood cells were particularly badly decreasing. And as we found out later, our two children also had the same condition. Today, the doctor is saying that for every ten children in Tokyo, nine of them have below the standard number of neutrophils.

When I consulted the doctor about my daughter, he clearly stated that she was affected by the radiation exposure.
And he gave me advice to move my daughter to the western part of Japan.

In any case, I tried to move my sick daughter out of Tokyo. Whenever we stayed in a place where there was no radioactive contamination, she became very well. But when we returned to Tokyo, she became sick again. We did not have the option to stay in Tokyo any longer. We just fled from Tokyo and moved to Kansai.

Living in East Japan means living with many radioactive materials, and it is not a place where people can live in good health. So, as evacuees from eastern Japan, we are calling for evacuation to West Japan. Our existence here is not broadcasted on the radio nor published in newspapers. So, I am telling you about it here and now.

After the accident, we were told that radiation was not a problem and health damages would not occur. But it was not true. Many of us have evacuated from East to West due to various health problems. Many people are getting sick today in East Japan. People are dying without noticing that it is due to radiation. Many Japanese can not face this nuclear catastrophe.

Now my daughter is 12 years old. She’s healthy and enjoys everyday life. She has good friends and says she wants to continue living here forever.

She is very afraid that more and more nuclear power plants now will get restarted and there may be another accident. If that happens, she will have to move away from here again. If another nuclear accident happens, she knows that she can not live in this country anymore.

And accidents are not the only ones that threaten her. It is a basic issue that after the accident, our government has not confined radioactive materials to one place.
On the contrary, our government has a policy of diluting toxic radioactive waste by mixing it with water, cement or other materials, and making it look harmless.

And the Japanese government now allows incineration of highly contaminated nuclear waste of up to 8000 Bq/kg, 80 times as high as before the Fukushima accident. It’s all to reduce the enormous amount of nuclear waste. But as conscientious scientists say, we should never burn radioactive materials. It should never have been allowed.

We don’t seem to be able to stop this crazy, irresponsible way of our government.

I hope that my daughter can live in her beloved country where she was born and raised.

What the Japanese government is doing can be called a nuclear assault. This political nuclear bomb is being dropped over us slowly and penetrating into our daily lives.

We can protect precious LIFE of not only humans but also the LIFE of all living creatures from internal radiation exposure. How? By containing radioactive waste in the locations where they were made and by keeping the waste under strict control. We humans can also evacuate from contaminated areas and relocate.

But people can’t move out of the contaminated areas because central and local governments conceal the facts of contamination and victimization, killing many people just like powerful bombs do. That’s a kind of national war waged against its own people.

We deeply deplore such war situation and want to stop it. That’s why I am here speaking to you.

Let us work together so we can recover our country and our earth in which our children can grow up in good health.


私たちの住む日本は唯一の、被爆国です。
でも、私たちは知っているでしょうか。
この核の爆弾の、もう一つの姿のこと、を。
それは、目に見えない、音のしない、とても、静かな爆弾です。
それは、ないことにするのはとても簡単です。

原爆が落ちた後の9月、米軍の偉い人が東京で声明を出しました。
「広島、長崎で死ぬべきものは皆死んだ。現在、放射能のために苦しんでいるものは皆無だ」
そして、それが米国の公式見解となっていきました。

放射能、この静かな爆弾の犠牲者は存在しないことになっています。

7年前、福島第一原発という核の発電所が、事故を起こしました。
核の大惨事、です。それは今も進行中です。
今、私達日本人は、この見えない静かな爆弾と共に日々を暮らしています。
それは、内部被曝という爆弾です。

人の体を侵していく目に見えない暴力です。
「じわりじわりと生命が蝕まれて、いつかぞろぞろと殺される」
被爆者を見てきたお医者さん肥田舜太郎先生は、そう話します、放射能は目に見えない暴力なんだと。
73年前、被爆国となった日本、に住む人たちは、今度は今、進行中の原発事故によって、内部被曝という爆弾を受け続けています。

でも今私たちはこのこと、この内部被曝という爆弾について、ほぼ何も知らされないし、知りません。

なぜなんでしょう?

それは、被害者の被害について、被曝について話をするのは、それはいつも加害者の側、この爆弾を作った人や、協力する側、落とした側、だからです

私達は、唯一の被爆国と言われる日本に住みながら、そして福島第一原発の進行中の事故ともにありながら、放射線や放射能が、人間にどんな影響及ぼすのか、実は知らされることもなければ理解もしていないのです。

だから私たちは知ることができません。
自分の体が痛むのが、愛する人たちが苦しみ倒れるのが、それが放射能の影響だなんて、想像することができません。
でも今、事故から7年して、何が起きているのでしょうか。特に原発の放射能の汚染が行った東日本で、何が起きているのでしょうか。

それらは、隠しておきたい側が狙う通りに、全く報道されることがなく、放射能と言う言葉そのものがタブーとなっている社会が出来上がっていきました。
内部被ばくとは、ゆっくりと落ちる爆弾です。
閃光により一瞬で焼き殺されるわけでは無いのです。

爆弾がゆっくりと落とされていく、私たちはこんなことが進んでいくことを、許したくなくてここに立っています。

私たちGowestは、
Go West, Come West!!! 逃げよう、と。西日本への避難を呼びかけています。
3.11東北・関東 放射能汚からの避難者と仲間たち、といいます。

私はそのなかの、ひとりの避難者です。

私は関西、神戸へ、福島原発事故の 3年後に 家族で避難移住してきました。
私はどこから避難してきたと思いますか?
私が避難してきたところは東京です
オリンピックが開かれようとしているところです。
皆さん東京には深刻な放射能汚染があるということをご存知ですか?

私の娘は事故が起きた時5歳でした 元気一杯の健康な子どもでした。
でも事故から1年が過ぎた頃娘の体調は おかしく だっていき、わけのわからない症状で悩まされるようになりました
「お母さん気持ちが悪い」 まずこれなんです。
一体何千何万回聞いたことでしょうか 。そして、「力がでない、体がフラフラする、足が痛い、手が痛い、体中が痛い」
最後には 普通の生活が全く送れないくらいにまでひどくなってしまいました 。

そして そんな時に私はひとりのお医者さんに出会いました。 首都圏で 放射能の問題に 取り組んでいるお医者さんでした 。
先生は 汚染のある 東日本から 西へ行ったりすると 具合の悪い子が 子供に よってはメキメキと元気になることがあると話されていました 。私はピンときました。
この先生の 検査によると 首都圏の 子供達の白血球の数、特にその中の好中球の数が ひどく 下がってきているということでした 。
そしてこれは後でわかったのですがうちの二人の子供達にも同じ傾向が見られていました。

私はとにかく娘を東京 から離しました 。富山、沖縄、神戸、 放射能汚染のない土地に行くと娘は嘘のようにメキメキと元気になりました。 でも東京に戻るとまた駄目になってしまう。 私たちには 東京に止まるという選択肢はありませんでした。 ただただ東京から逃げてきました。

今福島事故後の健康影響は ないということになっています。
事故のあと、いつのまにか、放射能は安全だという話になっていきました。
放射能の問題は 存在 しないことになっています。 でもそれは真実ではありません。
例えば福島の 東方の場所は チェルノブイリの後であれば 今も人は住んでいません そして東京の 汚染の 一部の場所は 避難の権利が存在する場所です。

私は、避難した人や、今、そこに住んでる人から、友人、親戚の体調不良、数多い病気、様々な難病、多くのガン、進行の異様に速いガン、同じ場所で続く突然死、若い人の突然死、ありふれた感染症などが急激に悪化しての突然死、私は聞き続けています。

そして首都圏の人たちを中心に、能力減退症と呼ばれる原爆ぶらぶら病のような症状が、広がっているそうです。
それは、脳やホルモンというところへの影響です。
私は、自分の娘がまさにこの影響受けたことを、この1年半の間に検査などを通して知るようになりました。

見えない、静かな、大惨事が、進行中です。

それは、当たり前にあった健康な毎日を失うこと、 病気になっていくこと、命をも失っていくということ。そんな大惨事です。
そして、日本人は今、この大惨事をみることができません。
だって放射能は問題なく、安全、ということになったから。被害のなどあるはずがないからです。
これらの人の病気や死が、放射能と結び付けられて話されたり、報道されることは、決してありません。

私の娘は、今、12歳になりました。
娘は、元気で、まいにちを楽しんでいます。
友達が大好きで、ここに、ずっといたい、と言います。

事故が起きたら、また、ここを動かなければならない、もう日本には住めなくなる、と、娘は知っています。

そして、娘を脅かすのは、事故だけではないです。
今日本では 放射性物質は閉じ込める、 汚染は 閉じ込める、という基本的なことをしようとしていません。それどころかあえて拡散をしています 。
だって事故の後から放射能は 危険とは言われなく なったんですから!
これくらいなら大丈夫、安全として 薄めて 全国に 散りばめられて行っています 。それは食べて応援 として食べ物の中に。 建築資材 肥料飼料 として流通しているもののなかに。汚染が紛れているのです。
基準は 80倍 に緩められて、 放射性廃棄物は全国で公共資材として再利用される計画が進んでいます。そして次々に 焼却されようとしています。
燃やすことは 放射性物質が高度に濃縮された 灰となり、または放射性微粒子として私たちの空気を汚染します。

日本は今原子力緊急事態宣言がずっと発令中の国です。 それはこの7年間。
そして全く収束などしていない福島第一原発の 地獄の釜からは 毎日大量の放射性物質が空気中にも放出されていてそれはこの広島にも 来ています 。

いま、私たちは これらのことから 一切守られることがありません。きちんとした報道がされないので このことを知る人も少ないはずです 。

これら全ては、なぜなら、放射能は安全ということに なったから。

なぜそうなったのか、て、それは原発を再稼働して、それを拠り所とする経済を回していくためです。

同じなんです。
原爆が落とされて1ヵ月も経っていない9月に、現在、放射能により苦しんでいるものは皆無だ、と断言されたことと。
ずっとずっと、今に至るまで、放射能の内部被曝による被害が、被爆者の間にその存在が認められていない、ということ。

それはなぜなのか?
ひとえにそれは、これからも核兵器を開発していくため、です。

核による放射能の問題はどこでも同じようなことがされています。

原爆の投下の後は初期放射線による外部被曝、のみが話され、死の灰などによる内部被ばくは、その存在を無視されて切り捨てられて行きました。

原発事故の後は、「空間線量は下り、安全です、避難の必要はありません」と繰り返されます。
空間線量は外部被曝を測るものさしです。
内部被曝を見るのなら、絶対的に土壌の汚染と言うものをしっかり測らなければ、みなければならないのに、それは今、完全に無視をされています。

そしてその土壌汚染を見れば、東日本は広く深刻な汚染があり、多くの放射線管理区域を超える場所に、妊婦さんも子供も住んでいます。
でも、そこは絶対に見ないし話されません。

みなさん、核兵器を開発し手に入れようとしている人たち、そして原子力を推進しようとしている人たち、つまりは核に携わる人にとって、「放射能による内部被曝」と言うものは、急所。急所だからこそ絶対に隠さないなければならず、隠されてきたものです。
私たちは内部被曝という核の暴力を、見ないように、見えないようにされています。
だから原発事故が起きて、何を奪われ失っているのか、そのことに気づくことさえできないのです。
もし、本当に核の廃絶を願うなら、私たちはこの内部被曝、の問題に、力を合わせて、精一杯向き合っていかなければならない、共有して行かなきゃならないと思うのです。

私は原発避難者のひとりとして
原発事故によるヒバクシャの1人として
そして、健康被害に苦しんだ、苦しんでいるひとりの子供の親として
核により苦しめられたひとり、として、
心からそれを祈り願います。

今原発事故の日本で起きていることは、核戦争の1つの形です。
今私たちの頭上にゆっくりと落ちている見えない静かな核爆弾から、みなさんどうか、人間の命と未来を守っていきましょう。


Read also Yoko Shimosawa’s testimony in this blog : Testimony of a mother who evacuated from Tokyo

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