Testimony of a mother who evacuated from Tokyo

Listen to her testimony (in English).
She evacuated from Tokyo to Kobe in west Japan to protect her daughter.
The contamination does not stop at the Fukushima department border. Tokyo is also contaminated.

Transcription (note 1):

I am standing here to tell you that the Fukushima nuclear catastrophe is not over.
I evacuated to Kansai (note2), three years after the Fukushima nuclear power plant accident.

Where do you think I evacuated from?
I evacuated from Tokyo!

Do you know that Tokyo has serious radioactive contamination?
Tens of millions of people in east Japan live with radioactive contamination now.

I have a daughter who was 5 years old at the time of the accident.
She became very sick one year after the accident.
In fact, my daughter became so sick that she could not live a normal life at all.
However, when she stayed in a place where there was no radioactive contamination, my daughter became so well. But when we returned to Tokyo, my daughter became sick again.
We did not have the option to stay in Tokyo, we just fled from Tokyo and came here.

Living in east Japan means living with many radioactive materials, and it is not a place where people can live healthily.

We are calling for evacuation to west Japan.
We are evacuees from eastern Japan.
Our existence will not be broadcasted on radio waves or published in newspapers. So, I am telling you about it now.

After the accident, we were told that radiation was not a problem, health damages would not occur.
But it was not true.
Many of us have evacuated from east to west due to various health problems.

Many people are getting sick today in east Japan.
People are dying without noticing that it is due to radiation.
Many Japanese can not face this nuclear catastrophe.

Please try to know what is going on in Japan now.

We are telling the world that the nuclear disaster is far from being over.


Her speech in Japanese is in two parts.
東京から西日本に避難した下澤さんの日本語のスピーチです。

書き起こし

今度は梅田スピーチ日本語版です。
せっかく録ってもらったから こちらもアップ。
はは😅英語よりずっと長いです。
とても寒い日で、 立ち止まってくれる人は少なかったけれど 一人だけ、 涙を溜めながら聞いていてくれた若い女性がいました。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

今英語で福島第一原発事故のことを 紹介したのですが catastrophe という言葉を使いました。
catastropheというのは大惨事という意味です。
原発事故に対して日本ではこういう言い方はしませんが 英語圏ではチェルノブイリ原発事故のことも チェルノブイリカタストロフィ 、チェルノブイリ大惨事、という風に 表現されるそうです。 福島原発事故のこともフクシマ カタストロフィと 呼ばれたりします。
「フクシマ大惨事」
そんな言葉を、今、私たち日本人は受け入れることなんてできませんね。

原発事故のことは、ほほ話題になることさえ、なくなりました。もう、終わった話、というイメージですか?

でも、今、私たちの国は今原子力緊急事態宣言が発令中の 国なのです。
今日本は 崩壊した三つの原子炉を持つ 福島第一原発という地獄、を抱えた国です。
溶け落ちた核燃料はどこにあるかもわからずただ冷やし続けるしかない事故は 全く収束の 道が見えません。 少なくとも100年以上は こうした状態が続くと言われています
放射性物質はその間海に山に空に撒き散らされていきます

そして、福島原発事故後の放射能汚染は福島の 問題ですか?
とんでもないです 汚染は東日本全域に、広く、濃く、深刻に、あります。

私は3年半前 原発事故による 放射能汚染を逃れてここ関西の神戸に 家族で移住してきました。それは、東京からです。福島ではないです。

一般的には、放射能の影響など、あるはずもない、と言われる東京、首都圏、そんな場所で健康被害を抱え、西日本に避難してきた、そんな人達は実はたくさんいるのです。
それは、事故直後だけでなく 1年~5年経ってから、そして、今も。

私には福島ではない汚染の強い 関東付近の土地から 避難 された お友達がいます。
避難元である その土地に住む 親類や友人の 体調不良、病気、 これでもか、と、続く、突然死の話を、私は彼女を通して聞いています。

続けざまに 亡くなられた 方々は ここを歩く皆さんとさして変わらない 高校1年生の話でした。

みなさん、 子供が、若い人が 突然なくなるというようなことが そんなに 続けざまに普通にあって 良いものでしょうか。
人はこんなにも 簡単に亡くなるものか
病気というものは これほどまでに溢れているものだったのか

異常なことが起きていると 感じています。

私は 東京でも最も汚染の薄い国分寺という場所から避難してきました。
私には事故の時5歳だった娘がいます 元気で健康そのものだった娘は 事故1年してから おかしな症状で 苦しむようになりました。それがだんだんひどくなり事故の3年後には 全く普通の生活が送れないまでになりました。

そして ある先生のアドバイスで 富山県 沖縄 神戸 福島原発からの 放射性物質によって土壌が 汚染されていない場所に娘を動かすと 娘はメキメキと元気になり 戻ると またぐったりとなってしまう そんなことを繰り返し 私たちは選択の余地なく、 こちら西日本へ移住してきました。

今、私達は、大惨事の只中にいます。

この惨事は、はっきりと、目に見ることができません。
建物が壊れたり、道端で人が殺されていくわけではないです。

ただ、健康そのものだった、親しい人、大切な人、が、 なんだか調子がおかしくなったり、 病気になったりして、 元気に毎日が 遅れなくなっていくこと 、 命をも失っていくということ。
または昨日まで元気であったのに 今日 起きてこないということ 、突然亡くなって二度と会えなくなってしまうということ。

そんなことなのです。

健康被害こそが、原発事故被害の、その本質です。
だから、放射線は大丈夫、被曝影響は考えにくい、問題ない、と繰り返されるのです。
当たり前なんです。
国は事故の責任をおう、加害者です。
危険だ、などと、いうわけがない。
そしてこの、 加害責任を負う人たちは 再び 原発を稼働させる 計画に熱心です。
だから、それは、なんとしても、 大したことのない事故にする必要があるのです。
健康被害など、存在してはならない。
少し考えると、当たり前てす。

いつのまにか放射能は 問題なく安全だということになりました。
だから私たち人間は、今、放射能の影響から 守られることはない、のです。

私は目の前の娘を助けたいと思いました でも誰からも 助けられず守られることがありませんでした。 放射能影響を考えることは 世の中の常識と戦うことでした。

放射能の問題、健康被害のことと 原発の再稼働原発の推進は 切っても切り離せない関係にあります。
何としても原発は再稼働させ 原発政策を進めて行きたい人たちがいるのです。

だから健康被害はあってはならないのです。

「線量は下がり、福島は安全です、避難の必要はなくなりました」そう、言われます。
線量?
25年、先を行くチェルノブイリをみて下さい。
線量、なんて、とっくの大昔に下がっています。
でも、事故から30年の今、あらゆる病気は増え続け、それは収まる気配がありません。
多くの子どもは病気を持って生まれてきて、疾患を持たない、健康な子どもは1割に満たない、そんな、今、があるのです。

でも、福島では、もう避難の必要はなくなりました、と言われ、福島からの避難者の住宅支援は打ち切られ、家賃の払えなくなった避難者が、提訴される、という信じがたいことがおきるのです。
私たちのような関東からの避難者ははじめから 存在していないことになっています 全く報道されません

そして福島の甲状腺がいくら増えようと、被曝影響は考えにくい、といわれ続けます。

西日本に住む私たちには 健康被害は他人事だと思いますか 。
確かに西日本には事故の時 放射能ほとんど降ってきませんでした。 土壌に汚染はほとんどありません。 だからこそ私は西日本に避難をし、娘は健康を取り戻しました。
でも今日本では 放射性物質は閉じ込める、 汚染は 閉じ込める、という基本的なことをしようとしていません。それどころかあえて拡散をしています 。
だって事故の後から放射能は 危険とは言われなく なったんですから!
これくらいなら大丈夫、安全として 薄めて 全国に 散りばめられて行っています 。それは食べて応援 として食べ物の中に。 建築資材 肥料飼料 として流通しているもののなかに。汚染が紛れているのです。
基準は 80倍 に緩められて、 放射性廃棄物は全国で焼却され、そしてこれからも 焼却されようとしています 燃やすことは 放射性物質が高度に濃縮された 灰となり、または放射性微粒子として私たちの空気を汚染します。 フィルターなんて役に立たないんです。
そして全く収束などしていない福島第一原発の 地獄の釜からは 毎日大量の放射性物質が空気中にも放出されていてそれはここ西日本にも 来ています 私たちは これらのことから 一切守られることがありません。きちんとした報道がされないので このことを知る人も少ないはずです 。

全ては、なぜなら、放射能は安全ということに なったから。

なぜそうなったのか、て、それは原発は再稼働して、それを拠り所とする経済を回していくためです。

私は、珍しい娘を持ちました。
娘は、汚染のある土地にいると、体が悲鳴をあげるようになりました。
普通は見えないはずの 放射能の影響というものが私は娘を通して見えました。

神戸へきて、そんなことがあったのが嘘のように
娘は元気になりました。
でも、将来の見えない、元気に 大人になる姿が想像できない日々がありました。
この子の毎日を奪い、体を傷つけながら、 回していく経済とは一体なんだろうってずっと思ってきました。

日本という国は この原発事故が起きてから 何か決定的に間違った 方向へ進んでいると私は思っています
この道しかないと言った 総理大臣がいましたがこの道は 想像もできぬほど多くの人の 命と人生を 斬り捨てます。そして、斬り捨てた側のつもりの人間たちの 体も 命も傷つくのです
勝ち残って幸せになる人間はどこにもいません。
私は、王様は裸だ!って 小さな子供のように叫びたいのです。

王様は、服を着てはいないんです。
原発事故は終わってないし、放射能は人間への驚異です。大丈夫、のわけがないのです。
実は見ようすれば簡単に見ることのできることを、日本の人達は懸命に目隠しをして、見ないようにしています。

みなさん、私達はなんのために生きてるんでしょうね?
少なくとも、私達は経済のために、原発のために、生きてるんじゃないですよね。
そして、自分の体は、命は、人生は、自分のものです。

目隠しながら 私達が進まされている この道の行き着く先を、考えてみてください。
私はこの道を生きるのを、 心の底から 拒否します だからここに立って 話をしています。

みなさんどうか、こんな目隠しは、私達の意志で剥ぎ取り、力一杯かなぐり捨てましょう。
本当のこと、真実をみつめて、未来は私達自身の手でつくり変えていきましょう。


Note 1: We thank Ms Yoko Chase for her proofreading of the text prepared by Ms Yoko Shimozawa.
Note 2: The region in west Japan, including large cities such as Osaka, Kyoto and Kobe.

7 thoughts on “Testimony of a mother who evacuated from Tokyo”

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